理事長コラム「ススメのひらき」~逆に大人の方がダメかも。

「子どもはダメで、大人は良いの?」

ある日の朝、通学中の親子と一緒に、横断歩道の信号待ちをしていたときのことです。
青になるのを待っていたそのとき、横から来た大人が、左右を確認して赤信号のままサッと渡っていきました。

すると、小さな声が聞こえてきました。
「ねえ、なんで大人は渡っていいの? ぼくがやったら怒られるのに。」

その場にいた誰もが少し気まずい空気に包まれました。
大人にとっては“急いでただけ”の行動でも、子どもにはちゃんと見えているんですね。
「ルールを守る」って何だろう? 誰のためのものなんだろう???そんな問いを投げかけられたような気がしました。

こうした感覚のずれは、実はインターネットの世界でも起きています。
いま、子どもたちは学校などで、SNSや情報発信についてのマナーやモラルを学んでいます。
けれど、教えられている子どもたちの目に、大人のふるまいはどう映っているのでしょうか?

今回のテーマは「情報モラル」。
これは、子どもたちだけに必要なものではありません。
私たち大人もまた、“見られている”存在として、自分の行動を振り返る必要があるのではないでしょうか。

情報モラルは、子どもだけのもの?

「なんで子どもだけが“ネットの使い方”を習うの? 大人のほうが変な投稿してるよね。」

ある小学生が放ったこの一言に、少し胸を突かれました。
たしかに最近は、小・中学校をはじめとしたさまざまな場面で、インターネットやSNSとの正しい付き合い方を学ぶ機会が増えています。
トラブルを避けるため、投稿のルールや、写真・言葉の扱い方についての指導も丁寧に行われています。
でも、それを“子どもだけ”が学ぶものとしてしまって、本当にいいのでしょうか?

情報モラルとは「やさしさ」と「想像力」

「情報モラル」と聞くと、「ルール」や「マナー」といった言葉がよく並べられます。
それぞれ似ているようで、実は少しずつ役割が違います。

ルールは、守るべき決まりごと。破れば、時に法律や規則としてペナルティが課されます。
マナーは、人との関係をスムーズにするための“お作法”。場の空気や文化によって変わることもあります。
そしてモラルは、そのもっと根っこの部分「人としてどうあるべきか」という、心のあり方に関わるものです。

ネット上で言えば、たとえば「著作権を守ること」はルール。
「コメント欄で言葉づかいに気をつけること」はマナー。
そして「誰かを傷つけないように、何をどう伝えるかを考えること」はモラルです。

情報モラルは、こうしたルールやマナーを土台にしながら、
「自分の発信が誰にどう届くか」「相手にとってどう感じられるか」といった想像力と、
それに対する責任感から成り立っているのだと思います。

子どもだけじゃなく、大人こそ

いま、子どもたちは授業や地域の活動などを通じて、情報モラルを学んでいます。
「これって、していいのかな?」「人に見られたら、どう思われるかな?」
そんなふうに、投稿ボタンを押す前に立ち止まる力を育てています。

では、大人の私たちはどうでしょうか?

何気ない写真の投稿。
ふと目にした噂話のシェア。
SNS上での、感情的な言い合い。
「ついうっかり」「悪気はなかった」と言えばそれまでですが、それを見ている子どもたちがいるということを、私たちはどこかで忘れてしまっているようにも思います。

大人もまた、ネット社会のなかで“学び続ける存在”です。
むしろ、子どもに教える立場にあるからこそ、自分自身の情報の扱い方を見直す姿勢が求められています。

情報モラルは、育てていくもの

情報モラルは、一度聞いて身につくものではありません。
「知っている」から「実践できる」までには、時間も経験も必要です。
だからこそ、子どもと大人が一緒になって、日々の暮らしのなかで「これはどうだろう?」と考え合えることが大切だと思います。

学校や地域での学びをきっかけに、家庭での会話が始まり、
「その投稿、ちょっと気をつけたほうがいいかもね」
「こんなとき、どうすればいいのかな?」といったやりとりが自然に交わせる関係へ。

誰かに“教える”のではなく、互いに“育て合う”
そんな情報モラルとの向き合い方が、いま求められているのではないでしょうか。

おわりに

「これは本当に、誰かの役に立つ投稿だろうか?」
「今の気持ち、ことばにするとどう届くだろう?」
そんな小さな問いを、自分にも投げかけながら、
大人も、子どもも、いっしょに“考える習慣”をもっていたいなと思います。